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 「母子像」
 「さえずり」
 「祈り」 |
そして、再手術に。この時、小池さんは、 今までにない体験をする
再発の診断を受けて、呆然としながらアパートに戻って、窓辺まで歩いていくと顔にあたる風が心地いいんです。黄昏がきれいで……、気づいたら涙がボロボロ流れていました……。"俺は歩けるんだ、自分の足で一歩一歩、歩いているんだ。俺は、いま生きているんだ"って切実に感じました。いのちをこんなにも限りなく尊く、愛おしく感じたことはありませんでした。一秒一秒の体験が、一生の出来事のように思えるのです。と同時に、死というものが、ずっしりと重くのし掛かってきました。それなのに、人間って不思議ですよねえ。目の前に死をぶら下げられると、何とか生きたいと思うんだよね。
入院していた病棟は相部屋でした。夜中に医師や看護師さんたちが入ってきて、慌ただしく動いていたかと思うと、次の日の朝、隣のベッドは空になっていて、シーツがきれいに整えられていたりするんです。昨日まで、その患者と話をしていたのに…。地下の放射線治療に向かうとき、分厚い扉の霊安室がありました。いつかあの扉の向こうに行くんじゃないか…。その時に「死にたくない…。とにかく生きたい!」と思いました。こうして生きているのは、運もあるけど、生きたいという精神力が大きかったと思います。 幸い、この時も順調に回復したんですが、退院の日「もう、小池君は東京にいないほうがいいんじゃないかな。田舎に帰って好きなことしたほうがいいよ」って医師に言われました。今度再発すれば、アウトだから、もう好きなことして生きなさいってことなんですよ。
実家に帰ってきても、毎日何をするということもない。でも、このままじゃ死ねないわけですよ。せっかくこの世に生を受けて、いろんな事を感じることができるのに。たとえ半年後に死ぬとしても、生きているうちに、生や死というものの根源的なものを少しでも知ってからでないと死ねない。
左足を切断した時に、将来の夢だった建築家になることをあきらめ、絵を描き始めていました。感じたことを自分なりに表現して、生きた証を残したかったんです。 オヤジはとにかく厳しい人でした。大戦で捕虜になったことも原因でしょうが、その上、この山村で農作業に徹し、3人の子どもを大学まで出してくれました。並大抵の苦労ではなかったと思います。ですから「5年は面倒見てやる。その後は自分で生きて行け」と言いました。ボクは三男でしたし、継ぐ家もない。普通ならオヤジの方が先に死ぬわけですから「何とか、自立せい」というわけです。
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