テクニックは優れている。技術的にはうまい。さすがにいろいろな展覧会で、何度も入選しているだけの事はある。しかし・・・。
―という絵に、出会う事が何度か何度かあります。
この「・・・」の部分について、今回は、お話したいと思います。
かの大天才、レオナルド・ダ・ビンチは、「絵画とは精神的なものだ」と言っています。
つまり、彼は、絵を描く時に手先の技術のみを追求したのではなく、感覚的、理知的ないっさいの精神活動としてとらえていたのだと思います。
もちろん、絵画の長い歴史の中で、技術的にとてつもなく優れているが故に「名画」だと言われ、人を感動させてきた作品もあります。それは、西欧絵画という物が、二次元の画面にどうにかして三次元の現実世界を表現しようと努力してきたからで、そのために生まれたテクニック、遠近法や、ぼかし、肉付け法、ゆるぎないデッサンなど、ありとありゆる技術が人を驚かせ、感動をさせてきたのです。
けれども、マネの登場以来、印象派の画家たちによって、三次元的表現は否定されていきました。そこにあるのは、画家が、自分の感じた事をどのように表現するか、という事です。ある者は形でとらえ、ある者は色でとらえる。やがて描く対象も、現実の物だけではなく、自分の心象風景だったり、感じたものを感じたままに描く抽象的なものであったり・・。
絵画表現は、限りなく広がっていったのです。
けれども。だからこそ、というべきか・・・、描く絵の中に画家の感動がなければ、見る者を感動させる事はできないと思います。
野外の溢れんばかりの太陽の光に感動し、なんとかしてそれをキャンパスに表現したいと思ったモネの感動。物の形にこだわり、それを表現する事に何よりも魅力を感じたセザンヌの感動。自らの心の中にこそ描きたいものはあると、目には見えない内なる世界をキャンパスにぶつけたムンクの感動・・・。
今なお、私たちを魅了する名画には、作家がその時に感じた感動や衝動、そして先駆性があります。
アートバンクに送られてくる作品の中にも、技術的には素晴らしい静物画があります。
けれども、その方がなぜ静物画を描いたのか、どうして描きたいと思ったのか、それが伝わってくる作品が残念ながら少ないのです。
技術的には優れている。しかし・・・、という作品には、画家の描きたいと思った感動や衝動が伝わってこないという事です。
これは、アートバンクに送られてくる作品に限らず、いろいろな展覧会で見た作品の多くに言える事ですが。 |