ミスターウラオカのイラスト一言アドバイス

やむにやまれず表現する者 Part.10

「21世紀アートのエネルギーを見る展」という、展覧会を見に行きました。
会場に集められた作品は、著名な芸術家の作品と共に、知的障害を持つ人や精神的障害を持つ人たちの作品が、肩を並べて何の隔たりもなく展示されています。
障害を持つ者、持たない者、同じ表現者であるならば別々に展覧会を開くよりは、いっしょに開き、そこから生まれるエネルギーを見た人に感じとってもらおう、そして、やむにやまれず、表現する者の一人としての自分を。
そんな主張が、不思議な空間から漂ってきます。

木伏大助さんは、通学途中でいつも見かける名画座のポスターに心惹かれ、記憶を頼りに(または実物を見て)日本映画のポスターを描き続けました。何百枚も。なつかしのスターが出ている、なつかしの日本映画のポスターでありながら、それは木伏さんの世界。彼の心の中の風景です。
木伏さんの絵を一枚だけ見せられても、たぶん、「おもしろいけど、だから何?」と誰もが思ってしまうことでしょう。
小林隆哉さんは、虹の絵を何百枚も描き続けました。そのときそのときで感じる、彼の心の中の虹を。彼の絵を一枚だけ見せられても、たぶん、「きれい。でも、だから何?」と誰もが思ってしまうことでしょう。
けれども、彼らの制作した膨大な量の作品を展示したとき、そこから生まれる圧倒的なエネルギーに我々は息を呑みます。
これは何だ?
自己表現という形が、こんなにもシンプルに単刀直入に行われていることに、嫉妬さえ覚えます。「継続は力なり」そんな言葉さえ浮かびます。
おそらく、彼らの描きたいから描くというよりは、むしろ描かずにはいられない、やむにやまれず表現している姿勢は、すべてのアーティストにとっては脅威ではないか・・・。
彼らには、「表現したい」という、切実な思いだけがあり、それはまさにアーティストの原点といえるものだからです。

そういう意味では、嶋本昭三氏や米田文氏、坂上チユキ氏、同じ会場で作品を展示していた作家の方々は同じ思いを共有しているのではないか。
やむにやまれず表現する者たちの競演。
おもしろい。そしてセンスのある展覧会でした。
(O美術館、ヨコハマポートサイドギャラリーにて開催)
ポスター
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