題字「星」261

私は7ヶ月でポリオに、学校には通えませんでした。当時車椅子はなく、外出はゴザに座って腰を浮かし、その間にゴザを自分方向に引き寄せ移動させる。これが移動の手段でしたが、腰をヒョイと浮かしゴザを引く孤独の作業の行く先は、春は一本のタンポポであったり、夏はトカゲとむなしい汗と砂ボコリだけであったり、この方法では遠くまでの外出は無理で充たされない毎日でありましたが、秋には美しく豪奢に色づいた葉鶏頭に向かってゴザを進め、「時が訪れれば華やかに装えるおまえは幸福だ。ボクは毎日おなじだ」と語りかけるのでした。
14歳の頃なんとか外出を、と決意。雨が降らない限り堤防につれてきてもらい、またもや長い孤独の時間を過ごすこととなりました。
厳しい生い立ちの中で授かったさびしい命でも、大切な命ならどのようにしてまっとうしたら良いか悩むために生きている自分と対決する中で培われたものこそ私の武器となりました。
可能性を試したい、なんとしても自立したいと願い、生きることが仕事でした。日々生きるために生きるのだと思っていました。絵はその一部に過ぎませんが、培われた武器は、威厳と威嚇のない絵画教師をおぎない、現在何とか暮らしております。

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