富士山への手紙
太田さんは、絵画教室へ通ってくる子供達に富士山の絵を描いてもらっています。太田さんにとっては、幼い頃から眺め続けているこの富士山には、何か特別な思いがあるようです。そんな太田さんの気持ちを知ってか知らずか、子供達の描く富士山の絵はどれも素晴らしいものばかりです。
ここでは、そんな太田さんの富士山への思いを綴った手紙とあわせて、子供達の描いた素晴らしい絵をご覧下さい。

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影山繭子さんの作品 富士山の絵
影山繭子さん
功刀美佳さんの作品 第4回富士山の絵コンクール
功刀美佳さん
水野由美奈さんの作品 富士山の絵
水野由美奈さん
斉藤良真くんの作品 第4回富士山の絵コンクール
斉藤良真くん
西村郁弥くんの作品 第4回富士山の絵コンクール
西村郁弥くん
古木香衣さんの作品 第4回富士山の絵コンクール
古木香衣さん
功刀佳奈さんの作品 富士山の絵
功刀佳奈さん
功刀香奈さんの作品 第2回富士山の絵コンクール
功刀香奈さん
古木香衣さんの作品 10年度富士山の絵コンクール
古木香衣さん
若月雄也くんの作品 10年度富士山の絵コンクール
若月雄也くん


富士山への手紙原稿 富士山への手紙
 
太田利三


 私がちっちゃい頃に乗っていた唯一の乗り物は、魔法の絨毯ならぬ一枚のムシロでした。ゴザともよばれまして、ワラであんだしき物で、昔風のカーペットとでももうしましょうか、春の花見の折りに携帯して、地面にひいたアレなんですよ。
 皆様一度、ためしてほしいのですが、これが思ったよりも具合の良い乗り物でしてネー、秋の運動会の競技に是非ともどうぞと言いたいほどですよ。では、このムシロをどのようにして操縦するかと申しますと、先ず、ムシロの上部に座りましてね、右手を地面の上にペタッとおいてね、左手でムシロの左の隅をしっかりにぎるんです。それから、おしりをヒョイとうかします。そのひょうしにムシロを手前に引くんですヨ。見事に見事に、前へ前へと進むんですヨ。
 発明したのは誰かって、もちろん幼い私です。必要は発明の母ですネ。リズムカルにこの動作をくりかえしますと、スピードも結構出まして、長い時間せまい庭を行ったり来たり往復して楽しんだ?ものです。
 楽しんだと言ったって、ムシロの行き先に目的物が無くて、しかたないので、目の前にデンと表れる富士山にコンニチワと挨拶して、又、戻ったりして、そう、富士山だけは、いつも変わらず暖かな豊かな表情で私を見ていてくれましたネ。とりたてて、富士山の姿が好きとゆうわけでわなかったのですが、四季うつりかわる雄姿や、朝晩、変わっていく色彩で、私に自然のステキさを教え続けてくれたと思います。
 特に夕焼けにそまった富士山は、朱とか、藍色とか、群青とか、日本的な色彩の見事さをトコトン私に教えてくれたと思いますよ。
富士山は、庭のすみの空間に表れましてネ、家並みのつらなったむこうに、デンとそびえていたんです。
 その頃は、高いビルなど無い時代ですからネ、見はらしがよくて、とても良く見えたんです。
 私が育った時代は、福祉も車椅子も無い戦争一色の時代でしたから、障害児にやさしい言葉をかけてくれる大人もなく、珍しいものでも見るように、ジロジロ見られるといったありさまで、人間キライといった気持ちになりましたが、富士山や自然は無言で、そんな私を慰め続けてくれました。

人は遠慮なく私を見て、
私は感動して富士山を見て・・・
私の方が得をして、勉強にもなりましたよネ。

 そして、現代、私は多くの子供達に昔を懐かしみつつ、富士山を描かせているのです。
 心で描いた富士山に多くの賞も与えられました。この場をおかりして、是非とも皆様に富士子を、富士雄君を、ご鑑賞願いたく展示致しました。
子供達は、このように、富士山を色々と華やかな衣装で色どって描いておりますが、その色どりや形が、子供達の感動であり、驚きであり、富士に対する賞賛です。
 富士子さん、いつもモデルになってくれて本当に有り難う。これからも私と子供達を見守り続けて下さい。

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