子どもたちとの触れ合いが、私の安息の時間

毎日がお祭りのようににぎやかな絵画教室

子どもたちの写真

 子どもたちに絵を教えるようになってから、三十年近い月日が流れている。もともとは、近所のお母さんに頼まれたのがきっかけだが、口コミで生徒が集まってきて、狭いわが家に毎日十人ほどの子どもたちが出入りしている。絵画教室とはいっても、子どもたちが大勢集まると、にぎやかなことこのうえない。おしゃべりな女の子から腕白坊主、知的障害をもった子どもから身体も満足に動かせない重度の障害児に至まで、さまざまな子どもたちがいるので、毎日がお祭り騒ぎである。

 私は生後七ヵ月でポリオを患い、歩けない身体となった。学校と名のつくところには通ったことがないし、友だちと遊んだという経験もない。家が農家だったということもあり、朝から夕方までいつもずっと近くの河原でひとり寂しくラジオを聴いて、読書をし、絵を描くという生活を送ってきたのである。あのころ、どんなにか多くの子どもたちと同じように思いっきり遊びまわる生活を送ってみたかったことか。こうした痛烈な憧れが現在の私のなかにもまだ残っており、それが子どもたちとの触れ合いを大切に感じさせてくれるのだと思う。

 子どもたちの描く絵というのは、私たちプロの画家にとっても非常に参考になるものだ。特に私が純粋で素朴でしかも芸術性の高い抽象画をめざしているせいもあり、子どもたちの描く世界には毎日驚かされ続けている。絵というのはそれを描く人の心の反映だといわれるが、そのことを痛切に感じるのは腕白坊主の描いたとんでもなくエネルギッシュな絵を見た時だろう。私の教室の生徒はさまざまな児童絵画展に出品すると不思議となんらかの賞を受賞するのだが、絵など描いたこともない腕白坊主の作品ほどすごい賞をとってしまったりする。天才とは、こういう人たちのことをいうんだなと痛感する瞬間である。

「星の子」たちよ、いつまでも輝き続けてほしい

子どもたちの写真

 絵画教室を三十年も続けていると、いろいろなことがあった。私の教室は単純に絵を教えるだけでなく、一生懸命遊ぶことや体の弱い人とも触れ合えることを目的にやってきた。子どもたちというのは純粋であると同時に、残酷な一面ももっている。私が電話をとるために畳にはいずる姿を見て「先生、頑張って!!」と応援してくれることもあるし、私の身体を砂利道に抱えて置き去りにするなんていう悪さもしてくれたりする。それでも、いつの間にかそういう子どもたちの中から福祉の世界に進んでいく子が出てきたり、自分の子どもをまた私の教室に通わせるために何十年ぶりで訪れてくれたりする。そんな時は、本当にこの仕事を続けてきてよかったなと感慨にふけってしまう。

 子どもたちとの触れ合いを形にして残しておきたくて、『社会福祉しずおか』(静岡県社会福祉協議会発行)に『星の子』と題する四コマ漫画を三十年以上連載してきた。毎月のことなので、回数も400回を超える分量である。ここでは、子どもたちの純粋な会話からヒントを得て、彼らの輝ける瞬間を漫画という形でいかに描写できるかというテーマに挑戦してきた。私の活動をずっと支援してきてくれたボランティア団体アートビリティが、この漫画を集めて一冊の本にしてくれました。

 これからもずっと子どもたちと一緒に絵を描き続けたいと思う。若いころは自分の身体のコンプレックスから生きる意味を見いだせず、絶望の淵を転げ回る泥沼の中に長い間いた。もちろんいまでも昔と基本的には変わっていないものの、子どもたちと遊んでいる時間だけはほのぼのとした安堵感に包まれるのだ。一言で言えば、歌曲集『冬の旅』で最後に歌われる「辻音楽師」のあの安らかな心境とでもいおうか。そして、私の教え子の中から少しでもボランティアに興味をもち、人にやさしい子どもたちが生まれていくことを期待したいと思っている。

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